立花屋キ
 ~門司港の文化を伝えます~立花屋


これが本当のバナナのたたき売り

バナナのたたき売りの始まり

バナナのたたき売りの発祥の地は、福岡県北九州市の門司港です。もともと、神戸に持ち込まれていたのが始まりで、明治末期から、終戦の4、5年前まで台湾から門司港に大量のバナナが輸入されてきていました。
バナナはまだ青い状態で輸入され、セリで落とされ、仲買人[室(むろ)を持つ問屋]で成熟させて(歌にもあるように)黄色くしてから、売られるのが普通です。でも、どうしても輸送途中に、早く黄色くなって熟れちゃうのもあったので、そういうやつは露天商等の手を経て、口上よろしく客を集めて売りさばかれたそうです(当時バナナは高級品でした)それが文字通り  「バナナの叩き売り」 の始まりだそうです。

バナナの叩き売りの口上、バナちゃん節今昔物語 

バナナの叩き売りの口上である「バナちゃん節」は、門司出身の井川氏が考えたものです。
バナちゃん節や口上が入ったCDが門司港で発売されており、それの作詞者として名が残されています。
聞かれた方はわかるかもしれませんが、♪春よ三月からの歌い始めに合わせて一定のリズムにのせて売るという売り方だと思っている人が多いようです。確かに当時はこのように歌に合わせて売っていたようですが、歌詞が昔と違っていたといわれています。また、現在の門司流のばななの叩き売りは、口上だけを述べて売るやり方に変わってきており、ここでも当時とは違うバナナのたたき売りになっているようです。

なぜそのように変わったのか?

歌詞の違い
当時本当にこのような歌詞だったのか?またそのような売り方をしていたのかどうかというのは疑問であると、テキヤの流れを組む佐賀流バナナの叩き売りをしている北国忠治氏の著書にそう書いてあります。北国忠治氏は昔から、バナナの叩き売りを始め、いろんなお店をしていた的屋さんです。
その著書によると、彼は井川氏に尋ねて確認したそうです。そうすると井川氏はバナナの叩き売りで商売をしたことはなく、幼い頃に聞いた露天の口上を、彼になりに復活させたというのが、「バナちゃん節」なのです。(海峡ドラマシップの「覗きからくり」の写真の解説にも書かれています)
つまり「バナちゃん節」は、昔から語り継がれているものでなく、井川氏が昔聞いた節を繋ぎ合わせて作ったものです。ですが、当時に残ったこれらのモノを後世に残す為には大変な努力があったと思われ、敬意を表したいです。
歌から口上への変化
口上を述べて売るやり方は、映画「男はつらいよ」の寅さんの口上でもおなじみです。いわゆる啖呵売と言われるものです。
「結構毛だらけ、猫灰だらけ、お尻の周りはxxだらけ(自主規制)」というように口上をつらつらと並べて興味を引き周りに人を集めて、品物を売るというやり方です。当時のばななの叩き売りというのは、バナちゃん節のようなもの自体が口上の寄せ集めのようなもので、バナちゃん節のようなものを歌いながら、口上を挟みつつ売っていた。だから、すべての歌を歌い終わるまでに時間を要したと思います。
門司流が歌の流れから口上に変わっていったのは、私も習った門司港のバナナの叩き売りの第一人者、清水氏からです。彼も北国忠治氏についてバナナの叩き売りを学んだそうですが、歌を歌うやり方が出来ずに今のスタイルを作ったそうです(北国忠治氏に確認済み)それが現在の門司流になっているそうです。
曲調の変化(売り方である歌の変化)
佐賀流、肥後流、門司流は基本的に曲調が違っています。同じ言葉でも地方によってイントネーションが違うという感覚でしょうか?また、内容もアレンジされているので、バナちゃん節も多少違うようです。これは方言による発音等によるものや、彼らの使いやすいような語句で使われていたためと思われます。また、落語や講談、洒落、歌などの歌詞からも引用やアレンジしていたりします。
売り方の変化
「歌から口上の変化」でも書きました通り、大別すると門司流と佐賀流に分れます。肥後流はどちらかと言えば佐賀流に近い。佐賀流や肥後流は、啖呵売、口上を独特の節にのせて途切れなく歌う。売るための「テキヤ」の売り方。
「ハイ、300円。(売ってしまった後も、途切れないで歌が続いていくような感じ)あ~~~~今売れたバナナはちょっと青かった、今度は熟女・・・♪」
門司流は口上をぶつ切りにした一回一回がステージ、大道芸的な見せる売り方と節回しといえるでしょう。
「ハイ、300円。(いったんここで、終わりになって、次の口上に入る)お次のバナちゃん、これ見て頂戴!先程のバナナはちょっと青かった、これは、売れ頃、年頃バナナ(歌ではなく口上)」

余談:ばななのたたき売りのセリフの中には、今ではセクハラになるような口上もあります。

門司流VS佐賀流  門司流(大道芸的な見せるバナナの叩き売り!)

「バナちゃん節」でいうと、前口上と言われる「♪春よ三月(下のばなちゃん節を見てみてください)~~から始まるのが「門司流」
歌から始まり、その後に口上を述べていきます。わかりやすくいうと、「がまの油」のような感じで、
「さぁさぁ、おたちあい、これから始まるよ。よ~~~くみてください」(イメージですから本当にこういう風にはしません)こういう感じでしょうか?
私の場合( 立花屋流 客寄せ口上は)
「さぁさぁ、そこのお兄さん、おねいさん、せっかくだから近くに寄っといで♪、せっかく門司港来たならば、門司港名物バナナの たたき売りを見やしゃんせ。お代は見てのお帰り、0円タダだ!ただ!タダ! たたき売り、見るもん、聞くもの、笑うもの、お代があって、お代ないし、バナナを買わなきゃ、お代はいらないよときたもんだ。 今からバナナのたたき売りが始まるよ~~~~さ、寄っといで寄っておいで!」
と言って人を集めます。 (すみませんがこの口上は私のオリジナルです。無断使用は著作権の侵害になりますしないでね)
他の人は、前口上などせずにそのまま口上にのせて売る方もいます。掛け合い口上が始まります。
ここからがバナナの叩き売りの始まりです。
口上 一例
「窓を開ければ港が見える。遥か彼方を眺むれば、武蔵小次郎の決闘で、今も伝わる巌流島。つくよつくよと何がつく。 門司の港に船がつく。お寺の坊さん鐘を突く、私は貴方にしがみつく、はなれられないこのおいしいバナナ1000円で、どうだ~~」
と売りに入る。で(お客反応を見る。お客が無関心、または「高い!」「もう一声!」と言われると、さらに口上は続く)
「高いか?~~(困ったな、じゃあしょうがねぇという感じで次の口上に入る)高くてよいのが人の鼻、低くてよいのが人の腰(略)はい、700円」(お客反応を見る。後は上と同じ繰り返し)
というようにして、どんんどん値段を下げていき、売って行くやりかたです。
ただし、原価割れになりそうなときは、一旦出したバナナを引き下げて別なバナナを取り出して売ったり、特別と言いつつ子供に売ってあげたり、半分にしたりとか、手を変え品を変え上手にさばいていきます。

門司流VS佐賀流  佐賀(肥後)流(唄を唄いながらリズムに乗せて、合いの手や口上挟みつつ、売るためのバナナの叩き売り!)

「♪こういうバナちゃん600円。こういうバナちゃん六百買わなきゃ、五九か?五八(ゴンパチ)昔の色男♪500円!!」みたいに数字のあるところで売ったりします。ですがスルーしたりして、いつ売るかわからないので買う方がどきどきさせられます。(値段は下のばなちゃん節を見てみてください)
「佐賀流」(「一は万物、物の始まり」という歌(節回し)から 始まるのが本当)です。(一部違うところから始めている人もいます。時間や、やり方の順番を変えたり、天候やバナナの熟成具合とか)
門司流では言いませんでしたが、本来、バナナの叩き売りは2人(以上)1組で行う商売です。
バナナを売る口上や唄を唄う「真打ち」と、買ってくれたお客さんにバナナを渡す「下打ち」とあります。 ただ、この「下打ち」は弟子がしたり、お嫁さんの方がしたりと補佐役的な存在なのですが、リズムを取ったり、合いの手を入れたり、盛り上げ役も兼ねていています。また、真打に漫才でいうツッコミを入れたりしてツッコミ役もこなす。
これが人を笑わせる。
門司流はお金の受け渡しや、商品を買ってくれたお客さんに袋詰めしたバナナを渡す方が主で、せいぜい「高い!」「もう一声!」 とかの掛け声をかける程度である。門司流は真打と舌打ちが入れ替わることがよくあるので主従関係という差はありません。
違いいえばこれくらいでしょうか。
話は戻って、佐賀流は流れるような単調なリズムの唄、 まるで隣のおじちゃんが 話かけてきているかのような人情味あふれる語り口、かと思うと、値段を決めて言うときは、みのもんたの 「ファイナルアンサー」を言うかのごとく、スパッと言ったり、間延びするタイミングだったり、臨機応変に場を盛りあげ引きつける。お客も買う気であれば、安い値段で買いたいのと他のお客に取られないようにする為、その値段が、高いか!安いか!買い時かどうか?気が抜けない。
まるで「かるた」や、「百人一首」で札をとるときの緊張感。買い手が次第にのめり込まれていく。それを他のお客さんが、見て楽しんでいる。
これがバナナのたたき売りのだいご味です。

流れ
北園さんの著書もビデオを買いましたが、その売り方は、会話、始まる呼び込み、流れるような独特の節回しの唄から始まります。
彼はまず、バナナのコンディション(つや、大きさ、熟れ具合)を見ます。それを台の上に置き、手に持つのですが、 それもバナナのコンディション(つや、大きさ、熟れ具合)によって、変わるのだそうです。
さて、このバナナを取り出して、流れるような独特の節回しの唄を、唄い始めます。
お客さんの反応を見ながら、コミニュケーショをとりながら入れる合いの手。かと思えば、歌が切れたか切れないうちに、突然言い出す値段。
売れた後のお客との会話。買えないお客との談笑。 ちなみに肥後流の叩き売りも見ましたが、似たようなものでした。
ちなみに売るのを目的としてではないので少し違いますが、佐賀流の流れる唄にあわせてバナナの叩き売りを、私は「門司の佐賀流」
と呼んでいます。門司流の方でもできる人がいますが、結構うまかったのが、しゃべったこともありませんが、区議のH氏です。

バナナの叩き売り!口上のルーツ

新聞の夕刊である人が「バナナの叩き売り!口上のルーツ」は「七五調」、「軍隊のぞき」であると、いっていますが、それがルーツではありません。私が調べてところ、上でも言いましたが下記に記すようにあらゆる要素が含まれています(海峡ドラマシップの「覗きからくり」の写真の解説にもルーツについては触れています)
立花屋の説は、それらがルーツというよりも、それらのものが、交じり合って出来たものだと考えています。
◎幕末後明治の日露戦争頃、東京で流行ったしりとり唄「江戸しりとりことば」
(内容もそうだがオチも)ちなみに多くの口上のネタはここから来ているものもあります。
一例、「でんでん太鼓に笙の笛」「桂文治は噺家で」とか。
◎落語や講談、浪曲、軍歌、歌謡曲、文学の一部。
◎江戸時代の天秤を担いで売っていた。下駄屋、ラオ屋、唐辛子屋、シジミ売り等、物売りの売り文句
(絵を参考にさせてもらいました 双葉社「レモンハート」古谷三敏 ファミリー企画著)
◎バナナのたたき売りよりも前にあった、がまの油等、露天で売られていた彼らの口上。
バナナの叩き売りだけではなくて、口上は、これらのものが入り混じっていると思います。
●口上が七五調なのは、日本語の文化。俳句や短歌、和歌のように、語呂がいいから。
●また節(曲調)は、門司流は大道芸の宴会調、佐賀流は、盆踊りのリズム。
門司流は上でも言いましたが、口上のみを述べる寅さんのような感じです。ばなちゃん節は客寄せのために歌う。口上を述べて値段をいう。
「♪結構毛だらけ、猫灰だらけ、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし、蝿が手をする足をする、 うちの親父はゴマをする。はい、500円」
という感じです。
確かにこれも、売り方のひとつで、シンプルで一対一の売り方といえるのかもしれません。
ただ、昔の露天がそのようなやり方をやっていたのでは、多量に捌けません。客をのせて売っていく売り方が昔のバナナの叩き売りです。
バナナの叩き売りは、台湾から神戸にバナナを運ぶ際に熟れて売り物にならないバナナを神戸に付く前にさばきたくて売ったのが始まりだといわれています。だから発祥は門司港なのです(門司港が九州の玄関口でもあり、列車の起点でもあるため陸路の活用や本州下関に行くのに、船で行かねばならず多くの人で賑わっていた)
テキヤさんが、トタン(木の板等)を置きすぐに商売ができ、アセチレン灯で照らして、ばなちゃん節を途切れなく歌う佐賀流のような売り方は、客を寄せ、口上挟み、 絶え間なく売って行くのに好都合であったと思われます。
佐賀流は、ばなちゃん節を歌に合わせて途中で切り「ハイなんぼ?」という売り方ですが、リズムは盆踊り(うちの田舎の)と同じノリのいいリズムです。
心理学的に単調なリズムは、ノリやすいといわれています。松本清張の小説の中で単調な太鼓の音によるものと、太鼓のリズムにあわせて身体を動かすことで 本能がよりあらわれやすくなる。トランス状態になりやすいと解説されているそうです。
スピード感の違いはあれど、クラブ(ディスコ)で踊るのと同じようにノリやすいし、身体を動かすことで同じようなことが 起こるのかもしれません。ノリが良ければついつい積極的になってしまう。そういう状態を作り出しているのかもしれません。また他のお客さんがいて負けたくないという競争心や、いつ値段を言って売り出すかもしれないというあせりの気持などがあいまって、そういう状態になって引き込まれていくのかもしれません。
その辺は、大脳生理学や心理学的な面とか、いろんな要素があるので、専門家におまかせして割愛します
さて、やっている側からみると、客は値段が高いうちは、おもしろおかしい口上を、聞いているだけですが、次第にお客はのめりこむのがわかります。単調なリズムは、鼻歌交じりのように、 いつの間にか、歌っていたり、首が上下していたり、笑っていたり。つまりつられている証拠がみてとれます。
それに加え、おもしろおかしく笑わせるたり、声を小さくしたり大きくしたり、笑い声や楽しい雰囲気をかもし出すから余計にのめりこむ。5分もいると大体の相場がわかるので、これも引き込まれやすい。「こういう機会もないことだし 買っていこうか?」と思ってくる。
(家に帰って、この出来事を家族や他人に話して、どのようなことをしたかということを、教えたいという人の心理もついている)
買おうと思っている人は、売り手がバナナを持って売りにかかると、ゲーム感覚で、「一番安いところで買ってやろう」という心理にかられ、 値段が下がるたびに買い逃さないように、タイミングを計っている。これは目を見ればわかる。
売り手が口上を述べながら、値段を下げていく。売り手もその辺は心得たものなので、唄を唄いながら適当に値段を下げ、一気に畳み掛ける。
「700高いか600か?それじゃぁ、このバナナ、300円!!!」皆が手を上げる。そのときには客を見ていて、買う気マンマンの人には 売らない。
「もうちょと、高いときに手を上げたら買えたのに」などと、売り手は言う。 「今度は買い逃さないように」などといいながら、売り手がお客にタイミングを教えて熱くさせ、購売動機?を与えている(笑)
そうかといって、前の売値よりも、安い値段か、同じ値段で買いたいという心理がはたらく。ライバルがいなければ、待っていれば買えるのだが、周りには同じような思いの客がいるから、あれやこれやで迷っているうちに買い逃す。そうしていくうちに、どうしても相場のあたりで、 みんな手を上げて買っていってしまう。
だが負けず嫌いさんは、そうはならない。なんとしでも同じ値段か、それよりも大きなバナナを買っていくんだ!と、熱くなる。これはオークションでも似たようなことが起こる。人の心理をうまくついていると我ながら思う。
売り手もそれを知っているので、わざと「一房、いちま~~~んえ~~ん」とか、「バナナ1本500円」とか、小さな子供には 値段が付かなかったちょっと小さめのバナナを(普通では安くしないと売れない)一房200円とか激安で売ったり、タイミングを はずしたり、けなしたり笑わせたりする。
そういう駆け引きをずっとやっていると、ついつい売り手の「もうすぐ最後だよ~~」という言葉にさらにあせりを感じ、結局 「ハイなんぼ?」の言葉に、相場よりも高い値段で、手を上げてしまう・・・(ご愁傷様)
売り手の思う壺である(笑)
昔はバナナが高級だったからできた。今のバナナの叩き売りは、バナナが安くなっているから難しい。これが松茸だったり、タラバガニたったりしたら、この売り方は商売として成り立つだろうね。
それでも、バナナの叩き売りのバナナは新鮮で(室から出したばかり)量も多いから通常よりかはうまくて安い。 商売の基本である需要と供給のバランス、顧客をうまくのせて売らせる戦術といえるのかもしれませんね。

西日本新聞さんの御協力により、転載の許可をいただきました。
2006/08/23付 西日本新聞朝刊 九州歌謡地図 第3部仕事唄の情景より

西日本新聞←リンク

第3部・仕事唄の情景<18>バナちゃん節 情感たっぷり、客動かす

●バナちゃん節(北九州市門司区)
バナナのたたき売りは、門司港(北九州市門司区)が発祥の地である。たたき売りの客寄せ口上に節がついた競り唄である「バナちゃん節」も、
もちろん門司の生まれだ。
♪黄色くお色気ついたころ バナナ市場に持ち出され 一房なんぼのたたき売り サアサア買うたサア買うた……
観光名物として、レトロのまちづくりに欠かせない存在になったバナナのたたき売りは現在、「バナナの叩(たた)き売り保存会」(1976年発足)が継承 し、観光イベントなどで披露している。同会によると、たたき売りは明治末期の門司港で、台湾から陸揚げされたバナナのうち、熟しすぎた商品を早く売るため に始まった。1939年ごろには、戦争の激化とともに商品のバナナも、たたき売りの姿も途絶えたとされる。
戦後、バナナの輸入が再開されると、かつて門司流の口上を体得した人々が、福岡県の久留米や大牟田、佐賀や熊本など九州北部の各地でたたき売りを再開させた。バナナはまだ貴重で珍しい果物であり、並べれば売れ、売れればもうかる時代だった。

「大道芸や舞台芸ではなく、バナちゃん節は物売り芸。だから、すたれてしまったんですな」
 露天商として約半世紀、佐賀を拠点に全国を飛び回りバナちゃん節を歌ってきた北園忠治さん(78)=佐賀県鹿島市=の言葉だ。
 北園さんの記憶では、1960年代後半から、バナナの大量輸入が始まった。スーパーや八百屋で安売りされるようになり、たたき売りは商売として 成り立たなくなった。
 商品としてのバナナも姿を変えた。大きさ、色は均一化され、どれも一級品。そうなると、バナナの熟れ具合や色、つやに合わせて、七五調の口上を 即興で選んでリズムにのせるバナちゃん節は、より所を失ってしまうことになった。
北園さんはいまも現役だが、祭りやイベントへの出演依頼はめっきり減った。
北園さんに歌を聴かせていただいた。情感をたっぷり乗せた、メリハリのある独特の節回しには、人を引きつける魅力があり、門司港で聴いた歌とは違う歌に聞こえた。
年期の違いだけではないだろう。北園さんにとって、バナちゃん節は生きていくための、仕事の歌だったのだ。

北園さんが「バナちゃん節の唯一の正統な後継者」と太鼓判を押す若い夫婦がいる。永田敏さん(42)、信代さん(43)夫妻=福岡県飯塚市=は8年ほど前からたたき売りを始めた。
 たたき売りはもともと、バナナを掲げて口上を唄(うた)う「真打ち」と、合いの手を入れてバナナを客に渡す「下打ち」の2人1組で行う商売だ。永田さん 夫妻は、北園さん夫妻の技を伝授された。口上を学ぶ人は多いが、コンビの技を夫婦で受け継いだのは他にいない。「正統」たる理由だ。
 敏さんは、たたき売りの魅力を「鑑賞される芸ではなく、主導権を握り、客を動かすのが醍醐味(だいごみ)。いまもときどき、パニックのようにお客さんが 殺到する瞬間がある。場所や客層、時間帯、天気、バナナの状態に合わせて臨機応変に唄売りできるライブ感がたまらないんです」と話した。
 北園さんと弟子たちは筥崎宮(福岡市東区)で開かれる「放生会」で毎年、バナナのたたき売りを奉納している。今年も9月13日に行う予定だ。
 若い永田さん夫妻だが、自治体のイベント縮小もあり、たたき売りを披露する機会は年に数回程度である。永田さんの夢は「師匠のように、トラック1台分のバナナを1日かけて売ってみたい」。そんな仕事の依頼を待っている。  (塚崎謙太郎)


佐賀流継承者
佐賀流の「バナちゃん節」を継承する永田敏さん、信代さん夫妻


門司港のたたきうり

門司港のイベントで、保存会メンバーが披露した「バナナの叩き売り」
門司港
福岡県北九州市門司区 門司港(かつては九州の玄関口として栄えた)

●九州バナナ競り唄・佐賀節の歌詞……バナちゃん因縁聞かそうか 産れた処は台湾で 台湾台中片田舎 親が貧苦のその中で 蝶よ花よと育てられ 青い頃 より見初められ 台湾娘にもぎ取られ 国定忠次じゃないけれど 唐丸籠にと詰められて 汽車や電車に乗せられて 着いた処が基隆港 基隆港を船出して 金波銀波の浪を越え ようやく着いたが門司港 門司は九州の大都会 仲仕の声も勇ましく エンヤラドッコイ掛声で 又もや汽車にと乗せられて…… (北園忠 治さん)

=2006/08/23付 西日本新聞朝刊= 2006年08月23日11時31分 転載不可です。

上記に関して、情報をお持ちの方はメールメールにて、お知らせください。
また、自論のある方や、お叱りの言葉、なんでも結構です。御連絡ください。
転載、引用は不可。御連絡下さい。

立花屋のたたき売り風景
立花屋のたたき売り風景
石碑
石碑

看板 説明発祥の地
世界初、日本初の「紙芝居によるバナナのたたき売り」をしているのは立花屋だけ!
ボランティアで、保育園・幼稚園でしていましたが、現在お休み中
絵の協力 セブンさん、門司中学校に皆さん(感謝します)
阿里山麓
阿里山麓
はじめて門司港をみたバナちゃん
石碑
たたき売り風景
発祥の地


☆彡 バナナのたたき売り全国大会ポチ ←クリック

Q.どこでバナナの叩き売りが見られるの?
A.門司港駅の案内所か、立花屋にご連絡ください            
代表的なバナナの叩き売りの口上(佐賀流はこれとはちょっと違っています)

サアサア門司港名物バナナの叩き売り ご用とお急ぎでない方は、見てらっしゃい、聞いてお帰り荷物にならぬ
バナナ屋自慢のバナナ節
おもしろ、おかしく節つけて、故郷のみやげに買わすのが、門司の名物バナナ売り

 ♪春よ三月春雨に、弥生のお空に桜散る。奥州仙台伊達公が、何故にバナちゃんに、ほれなんだ バナちゃんの因縁聞かそうか~
生まれは台湾台中の阿里山麓の方田舎、台湾娘に見染められ、ポーット色気のさすうちに、
国定忠治じゃないけれど、一房、二房ともぎとられ、唐丸篭にと、つめられて阿里山麓を後にして、
ガタゴトお汽車に揺すられて、着いた所が基隆港、 基隆港を船出して、金波、銀波の波を越え海原遠き船の旅
艱難辛苦のあかつきに、ようやく着いたが、門司ミナト、
門司は九州の大都会。
荷揚げのカケ声勇ましく、エンヤラドッコイかけ声で、問屋の室に入れられて、夏は氷に冷やされて、
冬は電気でむされて、八〇何度の高熱で、黄色のお色気ついた頃バナナ市場に持ち出され、一房なんぼのタタキ売り、
サア買うた、サア買うた
こういうバナちゃん六百買わなきゃ、五九か?五八(ゴンパチ)昔の色男、それにほれたが小紫
五八高けりゃ五五か、 ゴンゴン鳴るのは、鎌倉の鎌倉名物、鐘の音に、かねが物言う浮き世なら、
奥州仙台伊達公に、何故に高尾がほれなんだ
ついで負けとけ五一か、五市馬関で腹をきる、五一まけて五〇か、お次もまけて四九か、四九、八九は縁起なし
お次もまけて四八か、四八、久留米の連隊で、いつも戦に勝ちどうし 私のバナちゃん負けどうし、
サアサア買うたサア買うた。今の兄ちゃん有難うさん、こういうバナちゃん買う人は、学生さんなら優等生、
末は博士か大臣か 青年団なら団長さん、村で言うなら村長さん、そんなことなど請負かれん、これも負けと四四か、
四は、しくじった失敗したと、よせばいいのにあの娘にほれて、色の白いが豆腐屋の娘、四角ばって水くさい
これでも買んか、三五か、お産で死んだ三島のお仙、産後は女の大役だ。
お次は、三四、三三か、三三九度の盃で新郎、新婦が出来上がり、こんな目出度ことはない。
次いでに負けとけ二八か、年は二八か二九の江戸で、言うなら多摩川の、京で言うなら加茂川の水に咲かせしあら玉の、 私のバナちゃん買いなはれ、色は少々黒いけれど、味は大和のつるし柿、ひと皮むけば雪の肌、
小野小町じゃあるまいが、 照照姫じゃあるまいが、静か御前じゃあるまいが、ぎょうぎ菩薩の再来か、裏も表もツンツルテンのキンキラキン、
こんなバナちゃん食べたなら、三年五年は長生きす。
長生きせんのは、ふが悪い、サアサア買うたサア買うた。
お次のバナちゃんこりゃどうじゃ、夕べ風呂屋で見たような、太うて長くてシャンとして、隣近所のご家泣かせ
そりゃ冗談そりゃ嘘よ、始めあって、終わりなし、母ちゃん腰巻、紐で持つ、娘のパンツ、ゴムでもつ、親父のフンドシ、ひもでもつ。
堀の中には、ハスの花、ハスには丸い穴があり、尾張名古屋は城でもつ、城の回りに堀があり、皆さん穴故苦労する、 私も穴故苦労した。
ちょいと、そこ行くお嬢さん、あんたに婿さんないならば、私が婿さん世話しょうか、婿さん世話するその間、
私のバナちゃんどうかいな、サア買うたサア買うた

南アフリカの歴史